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京都市下京区西七条の由来

平安時代末期の頃、京都(平安京)の南側を下辺(しものわたり、しもわたり)これに対し北側を上辺(かみのわたり、かみわたり)と呼ぶようになる。
これが中世にそれぞれ下京、上京となった。

下京と上京の境界はおおむね二条通であった。上京には京都御所があって富裕者が集まっていたのに対し、下京は商業街区であり、民衆の町であった。

京都市内の町名には「大原来迎院町」のように旧村名、旧l名に由来する地名
(上記例の場合は「大原」)を冠称するものと、「亀屋町」「菊屋町」のような単独町名とがあるが、下京区においては区の東部の町名はすべて単独町名であり、西部は「中堂寺」「西七条」などの旧村名を冠した町名となっている。

近世には、二条通り以北を上京、以南を下京と称し、上京には「上京十二組」
「禁裏六丁組」、下京には「下京八組」という町組(ちょうぐみ)が組織されていた。町組は近隣の町の連合体、自治組織であり、その起源は判然としないが、室町時代には存在が確認される。

明治22年(1889年)京都市制とともに、上京区・下京区は京都市の区となる。なお、近世と違い、二条通りではなく三条通りが上京・下京の境となっている。この間、明治21年には同年下京区に編入された旧愛宕郡の村域に下京33組が設定された。


昔は、今のような「区」ではなく、村がいくつかあったようです。

なかやま鍼灸整体院がある西七条北西野町も七条村だったようです。

旧七条村
西七条 西七条北東野町、西七条南東野町、西七条中野町、西七条南中野町、西七条東久保町、西七条西久保町、西七条石井町、西七条北西野町、西七条南西野町、西七条北衣田町、西七条南衣田町、西七条北月読町、西七条南月読町、西七条東御前田町、西七条御領町、西七条東八反田町、西七条西八反田町、西七条東石ケ坪町、西七条西石ケ坪町、西七条市部町、西七条御前田町、西七条赤社町、西七条比輪田町、西七条掛越町、西七条名倉町、西七条八幡町 26
御所ノ内 七条御所ノ内北町、七条御所ノ内中町、七条御所ノ内南町、七条御所ノ内西町、七条御所ノ内本町 5
梅小路 梅小路石橋町、梅小路本町、梅小路東町、梅小路東中町、梅小路西中町、梅小路高畑町、梅小路頭町 7

下京区の西部は、明治22年(1889年)の市制町村制施行時には葛野郡七条村及び同郡大内村であった。七条村は大正7年(1918年)、当時の下京区に編入された。同村には西七条、西塩小路、御所ノ内、梅小路、唐橋の5つの大字があったが、これらは計31の町に編成された。うち唐橋地区は、昭和30年の南区成立後は同区に属している。 もとの七条村西七条は、大正7年下京区に編入され、
「西七条」を冠称する12町に編成された。

と、このような地域で治療院をさせてもらっております、
京都市下京区のなかやま鍼灸整体院です。

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